【スイス・ヨーロッパ事情】Japanesenspiele (日本人劇)
2013年最初の記事は、転職アドバイスを飛び越えて、もっと幅広いトピックについて話してみたいと思います。今回は日本とスイスの長い交流から生まれた伝統行事についてお話します。
毎年スイスでは2月から3月にかけて多くの大都市で冬の終わりを祝うカーニバルが行われます。カーニバルは「ファスナハト」と呼ばれ、ブラスバンド隊や、フロート(パレード車)付きの行進、またブラスバンドのコンサートや風刺的なパフォーマンスなどが催され、積極的に楽しむ参加者たちや観光客はコスチュームの派手さを競い合います。 またファスナハトはお祭りであること以外に、近年の経済や政治などの社会的な話題を風刺的に取り上げる伝統行事でもあります。
さてここで、スイス・シュヴィーツ州で特殊なファスナハトが数年に一度行われていることをお話したいと思います。シュヴィーツ州はスイス中央に位置するドイツ語圏の町で、そのファスナハトは"Japanesenspiele"と呼ばれています。"Spiele"は「お芝居」、"Japanese"は古いドイツ語で「日本人」を指す言葉です。"Japanesenspiele"は通常のファスナハトと同じお祭りともいえますが、もっとお芝居と日本との強いつながりに重点が置かれています。
"Japanesenspiele"の始まりは、スイスの小さな経済視察代表団が日本へと向かった1862年となります。おもしろいことに、"Japanesenspiele"の初演はここから1年後、つまり代表団が実際に日本に到着する前となるのです。"Japanesenspiele"の出演者のコスチュームが江戸時代の日本市民よりも中国人の官吏のようなのは、もしかしたらこのせいかもしれません。「日本人」という言葉だけが本物の日本よりもエキゾチックな響きをもっていた時代だからこそ、お芝居の内容や衣装を自由にアレンジすることができたのかもしれません。
同じようにメインの出演者たちもさまざまなキャラクターで構成されており、日本の皇帝とその取り巻き(主に美女と中国人官吏たち)が出てきたかと思うと、一方でいかにもスイス的な古いタイプの学校長や農夫など、スイスの中産階級を代表するようなキャラクターも出てくるという有り様です。
従来のファスナハト同様、"Japanesenspiele"も現代の国内外事情への風刺を表現する場となっています。例えば第二次世界大戦時にはヒトラー、ムッソリーニやスターリンなどが主要なトピックでした。その後50年代、60年代には米ソの冷戦がトピックとなっていきます。 とはいえ"Japanesenspiele"は従来のファスナハトとちがい毎春は開催されず、数年に一度の開催となります。 "Japanesenspiele"は日本とスイスのつながりのほんの断片にしか過ぎないですが、150年も続くスイスから日本への関心の高さを表していると思います。
(関連リンク)
http://www.japanesen.ch/geschichte/156-jahre.html http://de.wikipedia.org/wiki/Japanesenspiele http://www.swissinfo.ch/ger/archiv/Zur_Fasnacht_weilte_der_Kaiser_von_Japan_in_Schwyz.html?cid=5735178 http://en.wikipedia.org/wiki/Carnival_of_Basel